私がパーキンソン病と診断されたのが2012年の春、アルゼンチンタンゴと出会ったのが2013年、ちょうど1年後のこと。ということは、私のパーキンソン病生活のほとんどはアルゼンチンタンゴとともにあったわけで、それはおそらくこの先も変わらないと言い切れるほどに今の私にはなくてはならないものとなっています。
それまで、寝ても覚めても波乗りのことばかり考えていた毎日から一変、海に入ることはなくなり、楽しみもハリもない毎日。なにか打ち込めるものがほしいと暗中模索していた矢先、ふと手にしたある大学の生涯学習セミナーのパンフレット。パラパラとめくっていると、とあるページに目がとまりました。「アルゼンチンタンゴの魅力」と題された講座。その時の私には、その音楽にもダンスにもまったく知識はありませんでしたが、なぜか惹かれてしまい、すぐに門を叩きました。
講座初日に先生のリードで踊ったのですが、ステップも何も知らないのに、なんだか操り人形のように勝手に体が動いたんです。すっかり踊れた気分になり、一瞬にしてその楽しさにハマってしまいました。その感動が今の私の原点です。「タンゴセラピー」なるものの存在も、その講座で知りました。中でもパーキンソン病にとても効果的だという海外の研究発表があることを知り、「自分は何かに導かれてここに来たのだ」と運命のようなものを感じたのを今でも覚えています。
音楽やダンスを用いたパーキンソン患者のための活動は様々あり、いずれも、目的はほぼ共通しています(症状の緩和、運動機能の維持・改善、闘病生活におけるメンタルコントロール、QOL(生活の質)の向上など)。
だからといって、何を選んでも同じ、ということではありません。そういった活動は、いわゆるリハビリですから、長期的に継続していくことが必要。そして継続するためには、自分に合っているもの、楽しめるもの、好きになれるものを選ぶことが何より重要です。
不思議なことですが、仕方無しにイヤイヤやっていても効果は半減かそれ以下になってしまうのです。だから私は、アルゼンチンタンゴ自体に効果があるのはもちろんなのですが、それ以上に、“アルゼンチンタンゴを好きになること”こそが薬なのだと考えています。
タンゴサプリでは、ダンスのプロや研究者ではなく、患者自身が運営、レッスンプログラムの内容やイベントの企画に携わっています。だからこそ、「なった人にしかわからない感覚」を踏まえた上での、取り組みができる。それが最大の強みだと思っています。
また一方で、私たちの活動には、患者以外にも様々な立場やバックグラウンド持った人たちが、純粋に「アルゼンチンタンゴを楽しみたい」という想いで、大勢関わってくれています。パーキンソン病患者の団体は日本全国にたくさんありますが、当事者以外がここまで参加してるところは多くはないはずです。実は私が一番大事にしているのは、この点なのです。
本音を言うと、私自身は運動療法をやってるつもりはありません。運動療法としての効果だけを求めるなら、他にも方法はいくらでもありますから。タンゴサプリは「人と、社会と、つながりを持てる場」なのです。
パーキンソン病患者の多くは、すでに定年退職をしていたり、仕事を理由に離職をしたりで、仕事から遠ざかっています。そのため、社会のとのつながりを実感できる機会が少なく、社会から切り離された感覚に陥りがちです。この感覚は、もちろん症状にもマイナスに作用します。実際、コロナ禍で人との関わりが激減した中、症状が進行してしまったという例は少なくありません。
そんな中、月に1回でも2回でも、タンゴを踊りに出かけ、そこで多種多様な人と交流することで、人とのつながり、社会とのつながりを実感することができる。その「社会性の回復」こそが、タンゴサプリの一番の存在意義です。リアルな対面での活動にこだわっている理由もそこにあります。
実際に会って、触れて、息遣いを感じて、心を通わせる。そんなアルゼンチンタンゴの魅力であり醍醐味を全身で体感しながら、いろんな方と交流していただけると嬉しく思います。
そんなコンセプトでやっていますので、パーキンソン病だけにこだわっているわけではありません。今後は様々な病気や障害を持った方々や、生きにくさを抱えた方にも、元気を取り戻してもらったり、様々な問題解決に応用したり…と、アルゼンチンタンゴの持つ可能性を広げていきたいと考えています。タンゴサプリに参加して元気を得た方が、その元気で「誰かを元気にする」喜びを感じることができたら…ほんとうの意味での社会性の回復を実現できるのかもしれません。
アルゼンチンタンゴを通して多種多様な人たちが互いに受け入れ合い、誰もが居心地のよい場所(社会)を作っていくことこそが、私の、そしてタンゴサプリの目指す最終着地点なのです。
2022年 6月某日
タンゴサプリ代表:吉澤香
最後に。
当事者だからこその視点から、「アルゼンチンタンゴがパーキンソン病の症状緩和に効果がある」と確信できる理由をお伝えします。
理由その1:
ペアダンスであること
これはとても重要。バランスを保ちにくい私たちにとって、パートナーの支えがあることが大きな安心感になります。また、お互いに「伝えあう」「感じ合う」ことで、充実感や幸福感という精神的効果を引き出します。
ダンスそのものがコミュニケーション。それがアルゼンチンタンゴの最大の特長なのです。
上でも述べましたが、このコロナ禍で、症状が進行したと感じる患者さんは多いです。その原因は運動不足もさることながら、人との関わりが極端に少なくなったことにあり、そのことによって「嬉しい」や「楽しい」「ワクワクする」「感動する」などの感情の動きに乏しくなったことにあると思うのです。パーキンソン病は、快の感情や意欲に作用するドーパミンに関わる病気ゆえに、この部分はとても重要なわけです。
理由その2:
ステップのほとんどが「歩く」という動作の連続であること
パーキンソン病の特徴として、足のつま先、足指をうまく使って歩くことが苦手になってくる、ということがあります。タンゴ的歩き(カミナンド)の基本は、その部分の柔軟性と蹴り出す力を十分に生かした動きです。ですから踊ることがリハビリに直結し、小刻み歩行や前傾歩行、突進歩行といった症状の改善に役立ちます。
理由その3:
バランスや体幹のトレーニングとして効果的
片足で重心を支えるという動きが多いのもこのダンスの特徴です。パーキンソン病の患者にとっては、最初は怖さを感じたり、うまくできないこともあるでしょう。でも、最初から全体重を片足にかける必要はありません。まず、両足で立ちながら、「いま、どちらに多く体重がかかっているか」を自分でしっかり認識すること、相手に伝えること。それがバランスや体幹のトレーニングにつながるのです。
細かく挙げれば他にもまだまだあると思いますが、代表的なこととしてはこんなところです。
「自分が踊ることなんてできるんだろうか?」
「自分の症状に本当に効くの?」
などと不安を感じている患者さんがいらっしゃいましたら、少しでも参考にしていただければ幸いです。